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東京地方裁判所 平成5年(ワ)356号 判決

原告

鈴木一弘

右訴訟代理人弁護士

湧井庄太郎

被告

渡辺哲弥

右訴訟代理人弁護士

桑原宣義

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一原告の請求

被告は原告に対し、金二〇〇〇万円及びこれに対する平成四年五月二九日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

一訴訟物及び争点

1  原告が被告に対し、平成二年一一月一四日、二〇〇〇万円を交付したことは、当時者間に争いがない。

2  右金員交付の趣旨につき、原告は、被告に対する貸金(消費貸借契約)であると主張し、その支払期限について、平成三年一月半ばころ、被告所有の会津若松市所在の鉄筋コンクリート造六階建共同住宅とその敷地(以下「本件物件」という。)を被告が売却した時とすることに合意し、その後、平成四年五月二八日、被告は右物件を売却したので、支払期限が到来したと主張する。

3  被告は原告の右主張を全面的に争っている。すなわち、被告の主張によれば、1の金員は、平成二年一一月一四日、本件物件を被告が原告に売却する契約を締結した際、その手付金として原告から被告に支払われたものであるところ、右売買契約は平成三年一月一〇日ころ、原告の申出により解除されたので、被告はやむなく右手付金を没収し、契約の解除の申出に応じたものであるという。

第三争点に対する判断

一当裁判所は、原告から被告に対し、平成二年一一月一四日交付された二〇〇〇万円が消費貸借契約に基づくものであるとする原告の主張を認めるに足りる証拠はないと考えるが、その理由は次のとおりである。

1  右金員の授受については、契約書は何ら作成されていない。原告及び証人吉田健一は、いずれも、右金員は貸金として被告に交付されたものであり、原告は右金員を被告に貸し付けるのにあまり乗り気でなかったが、原告は吉田に恩義があり、吉田に言われるまま被告に貸し付けたものである旨供述するが、そうであればなおさらのこと、金員の交付に際し、借用書の提出を求めるのが通常であるにもかかわらず、この点について、右両名は何の合理的説明もしていない。両者の職業及びこれまでに不動産取引等にかかわってきた経歴から見て、このことは到底理解しがたい。

2  被告が右金員の交付を受けた際に原告に提出した領収書(〈書証番号略〉)には、右金員を本件物件の売買代金の手付金として領収した旨の記載がある。原告は、その本人尋問において、この記載について、当日は帰りを急いでいたので領収書の記載を確認しないまま受け取り、後で気が付いてみるとそのような記載になっていたと述べているが、右金員授受の際に取り交わされた唯一の書面である右領収書の記載について、受取の際にその内容を全く確認していないということ自体、容易には信用しがたい。原告は、この記載に後日気付いたと供述するが、この記載に気付いたという時以後も、被告に対し、その訂正を求めたり、他の書面を要求したりした様子がない。

3  消費貸借契約の最も重要な要素は返還約束であるが、右金員の交付の際には、金員の返還時期のみならず、そもそもこの金員を返還すべきものかどうかについて、何の取決めもない(原告本人尋問)。原告はその本人尋問において、当初金員の返還に関する約束がなかったことを認めつつ、平成三年一月半ばころ、被告が原告に対し、貸付けを受けた二〇〇〇万円は本件物件が売却できたときに返還すると約した旨供述するが、被告が原告に対し、二〇〇〇万円を売買契約の手付金として受け取った旨の領収書を交付したことは、右2認定のとおりであり、本訴においても、被告は同様の主張をして争っていることからして、平成三年一月半ばころ、被告が原告に対し、右二〇〇〇万円を貸金と認め、金額を返還することに同意したものとは到底考えられない。もちろん、その旨の合意書面も作成されていない。返還約束に関する原告本人の右供述部分は信用できない。

二原告から被告に対する二〇〇〇万円の金員の交付の趣旨が消費貸借と認められないことは右認定のとおりであり、したがって、原告の請求は棄却することになるが、被告は右金員について、本件物件の売買契約の手付金であると主張し、原告はその主張を争っているので、紛争の実情にかんがみ、この点についても判断することとする。

1  被告はその本人尋問において、平成二年一一月一四日、原告と被告との間で、本件物件の売買代金額は三億一〇〇〇万円とするが、対税対策を考えて、契約書上の売買金額を二億八〇〇〇万円とする場合には、被告が契約外で更に二〇〇〇万円を支払い、実質三億円としてもよいと話した旨供述しており、被告のこの供述に沿う領収書が被告から原告に交付されている。一方、原告はその本人尋問において、契約書上の金額を実際の売買代金額より低く記載することの税務上の問題点を税理士に確かめることとして当日別れた旨供述している。これらの事実からすると、当日、原告と被告の間で、本件物件の売買代金額及び契約書上の金額を実際の売買代金額より低く操作することに関する話が出たこと、及び売買代金額の最終的な調整は後日行うこととしたことが認められる。

2  原告本人尋問の結果によれば、原告は本件物件の買受けを吉田に勧められ、価格が二億六〇〇〇万円になるなら買い受けてもよいと考えており、平成二年一一月一四日に被告と会った際にもそのような考えであったこと、同日被告に交付した二〇〇〇万円については、後日売買代金に組み入れられて差し支えないものと考えていたことが認められる。

3 原告は、被告から受け取った領収書に被告の主張に沿う記載があったことについて、当日は帰りを急いでいたので、領収書の記載を確認しないままこれを受け取ったと供述するが、この供述を信用することができないことは、前記一の2認定のとおりである。しかも、原告は、後日、この領収書の記載に疑問があったので吉田に尋ねたところ、被告の希望を書いたにすぎないのではないか、と言われ、納得した旨供述している。このような説明に納得すること自体、この金員の交付が単なる貸金ではなく、手付金の趣旨であることの一つの裏付けとなる。

4  右1ないし3記載の事実関係に照らせば、原告から被告に交付された二〇〇〇万円は、本件物件の売買契約についての手付金であると認めるのが相当である。それでは、右売買契約が被告の右1の供述のとおりの売買代金額で成立したのかというと、それには、次のような疑問がある。

すなわち、原告の供述によれば、平成二年一一月一四日に原告と被告が会うまでの間、原告は二億六〇〇〇万円でなら本件物件を買ってもよいと考えていたというのであり、原告は二億六〇〇〇万円ないし八〇〇〇万円で買いたいとの意向であったと記憶しているとする被告の供述と合わせ考えると、原告は、同日被告と会うまでの間、二億六〇〇〇万円でなら本件物件を買い受けてもよいと考えており、そのことは被告も認識していたものと認められる。一方、被告の供述によれば、被告は本件物件を三億円以上で売却したいと考えていたことが認められる。

ところが、原告、被告及び証人吉田のいずれの供述によっても、同日、原告と被告が本件物件の売買代金の額について、意見の調整のための交渉をした様子がないにもかかわらず、被告が右1で供述するような内容の領収書が被告から原告に対して交付されているのであり、原告と被告との売買希望価格の開きが四〇〇〇万円以上あったことを考えると、この点は、不可解というほかない。

5 右領収書が取り交わされた経緯並びに原告、被告及び証人吉田の供述を総合して考えると、原告と被告との間の二〇〇〇万円の授受に関する事実関係については、次のように認定するのが相当である。

すなわち、原告と被告及び吉田が平成二年一一日一四日に会談した結果、かねて金額面では二億六〇〇〇万円とする原告の希望と三億円以上とする被告の希望との間に開きはあったが、両者が売買契約を締結すること自体には異論がなかったため、売買代金の調整については棚上げにしたまま、原告と被告は、この場で売買契約を成立させることについて合意した。その際、売買代金額の調整、残代金の支払方法、契約書の作成等は、吉田が両者の間に入るなどして更に調整することとし、売買契約の手付金として、吉田があらかじめ原告に用意させていた二〇〇〇万円の小切手を被告に交付した。その際、被告は原告に対し、被告の相当と考える売買代金額を記載した領収書を提出したが、原告は、被告との間の売買の話を取り持った吉田への遠慮もあって、特段の異論を述べることなく、この領収書をそのまま受け取った。

6 このように認定すると、原告と被告の間の本件物件の売買契約については、売買代金の額につき確定的な両者の意思の合致がないまま売買契約が締結され、手付金の授受がなされたことになる。売買代金の額がいくらになるかが売買契約の重要な要素であることを考えると、このことは、一見奇異に見えるが、右認定のように、売買代金の額に関する売主と買主の意見の相違は後日調整することとし、それを前提に売買契約を締結し、手付金を授受すること自体は、両当事者の間に売買契約を確定的に締結する意思がある以上、認められるものというべきである。

したがって、原告が被告に交付した二〇〇〇万円は、本件物件の売買契約に係る手付金と認めるのが相当である。

三以上のとおりであるから、原告の本訴請求は理由がなく、棄却を免れない。

(裁判官園尾隆司)

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